ありがとう


 とんでもないとこ来ちゃったな、というのが最初の感想。入学試験の時から既に高校生活への淡い期待は崩れ去っていた。

 いっそ落ちててくれれば、そんなことすら考えたけれど、結果は合格。一番仲が良かった友達は落ちて私立へ行ってしまった。なんて理不尽。同じ中学から受かった何人かはそれほど仲がいいわけでもなく、クラスメイトを見ても気の合いそうな奴はあまり見当たらなかった。半分がメガネをかけて真面目そうで、僕から見ればそいつらはみんな同じ顔に見えた。

「バスケやってたの? 俺もやってたんだけど」
 初日のホームルームの後、さっさと帰ろうと支度していた僕に話しかけてきた奴がいた。背が小さくて割と活発そうな感じだった。こんな奴クラスにいたっけ、と思った僕は「ごめん急いでるから」と、気のない返事をしてそのまま帰ってしまった。

 そんな感じで初めはひどく無気力でおまけに疑心暗鬼だった僕だが、すぐに友達は出来た。男子は十人しかいなかったから、僕みたいなのにも積極的に話しかけてくるやつが多かった。

 ただし男子と女子の間には亀裂があって、三年間同じメンバーだったが、親しくなり始めたのはちょうど高校生活の半分も過ぎようという頃であった。積極的な女子と消極的な男子は打ち解けるのにひどく時間が掛かったが、親しくなってしまえば他のどのクラスよりも結束は強かった。

 しかし、周りがどんどんアットホームになっていく最中、僕はどうも浮いた気分であった。別に僕だけ仲間外れになっていたというわけではない。ただ、どいつもこいつも上辺だけ装っていて薄っぺらに見えた。必死に友達を作ろうと取り繕っている姿は滑稽でしかなかった。

 そんな態度が祟ったのか、二年生の冬に僕は病気になった。医者からは欝病と診断された。一時期本当に学校を辞めてやろうかと思うくらい、症状が悪化したこともあった。

 真に心を許せる友達なんて一人もいなかった僕を変えたのは、二人の人間だったように思う。一人はやたらとしつこく僕に構って来て、正直うっとうしかったけれど僕の冷たい態度に屈することなく付いて回った。もう一人は僕がなんとなく興味を持って、多分僕から話しかけた最初の友達。二人とも学校では子供っぽい印象だったが、蓋を開けてみると誰よりも大人でしっかりとした意見を持っていた。

 高校生活を楽しく思い始めてからは時間の進み方が違った。比喩ではなくて多分本当に違ったのだ。気が付くと僕は先輩と呼ばれ、大学にも合格し(もちろんそれなりの努力はした)、病気もいつの間にか完治して、卒業の日を前にしていた。

 素晴らしい三年間であったと賛美する気もないし、詰まらない時を過ごしたと嘆く気もない。ただ、一度は人生を投げ出すことまで考えた僕がここまで復帰出来たのは、間違いなく周りの人たちのおかげだった。自分一人で解決しようと意気込む度に、僕は深い沼地に沈んでいったのだ。救いの手を差し伸べてくれたのは、両親であり、兄弟であり、そして友人たちである。面と向かっては照れ臭いので、こっそりとここに記すことにする。大多数の人には伝わらないであろう、自己満足の『ありがとう』




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